盂蘭盆(うらぼん)

皆さま、お元気ですか。


今年は新型コロナウイルスもありマスクをしなければならない中、まだまだ暑い日が続いており、健康に悪影響がないか、危惧しております。

特に、外出自粛により、足腰の衰えに影響を及ぼしているのではないかと思っており、実際代表の濱田も体重増加や運動不足を感じています。


今年はお坊さん方も、様々な工夫をしていたみたいです。

無観客で法要を務める方、少人数で法要を務める方、オンラインで法要を務める方、中には今年は棚経参り(お檀家さんの家に直接出向き、仏壇や精霊棚の前でお勤めする)を中止した方もいたそうです。とても残念なことですが、仕方ないことかもしれません。


私も、例年、自坊の街の祭りとして観音さまに御祈願を行う法要を務めているのですが、今年は観客を呼ばず(とはいえ少人数来てしまいましたが)、観音さまに「早くコロナが解決しますように」と祈願してまいりました。


皆さまも、故郷に帰れなかったり、墓参りなどを避けられた方もおられるかと思いますが、一時の辛抱だと願いましょう。この危機を健康で乗り切れれば、また、ご先祖さまや、故郷の家族に会えるはずです。


せっかくなので、今年は「盂蘭盆(うらぼん)」の意味を考える時間にできたらなと思います(とはいえ配信がだいぶ遅れてしまいましたが…)。


「盂蘭盆(うらぼん)」とは、盂蘭盆経という経典に説かれるお話で、その起源は古代インドの言葉の「ウランバナ(逆さづり)」であるという説や、古代イラン語の「ウルヴァン(魂)」を起源にしているもの、また「ご飯をのせた盆」という意味である説があります。


今日まで、中国で作られたお話だと思われてきましたが(中国撰述のお経を偽経(疑経)といいます。必ずしも悪い意味とは限りません)、昨年お亡くなりになられた辛嶋静志先生が、経典の内容や言語知識から、「お盆」を意味しており、インドの伝統にも適合していて、インドで作られたものであるという学説を唱えられ、近年はこの説も認められつつあります。


さて、その物語ですが、お釈迦様の弟子である目連尊者(モッガラーナ)のお話です。ある日、目連さんが、神通力を使って、お母さまの居場所を探したところ、餓鬼界に落ちて、地獄のような苦しみを受けていたそうです。供物を与えようとしても、すぐに燃えてしまい、渇きにも苦しんでいたのだとか…。

それをみて途端に不安になった目連さんはお釈迦様に相談したところ、安居(あんご)と呼ばれる日の最後の日に、お坊さんたちを招待し、食べ物を施しなさいと言われました。そして、その通りにすると、お坊さんたちはたいそう喜び、その功徳が餓鬼界のお母さまにも届いたそうです。



安居の日というのは一体どういうことなのでしょうか。これは当時のインドの修行者の生活に関係があります。

お坊さんたちは毎月2回、「布薩(ふさつ、ウポーサタ)」という反省会を行います。互いに反省を促すことでよりよい僧侶になろうとしたのですね。

ところが、1年に三か月程度(4月16日~7月15日まで)、雨季に入ってしまうと、地域を移動することができず、布施(ご飯)を頂くのも困難になります。この時期のことを雨安居(うあんご)といいます。

そして雨季があけると、ようやく1年が終わり、新年がスタートします(古代インド仏教ではこの日を基準に1年、2年とします)。

この1年の最後の日(7月15日)に、「僧自恣(そうじし)」と呼ばれる大反省会を行うのです。雨季はなかなか厳しいものですから、この大反省会が終わると、ご褒美として、信者の方から衣を頂いたり、食事を頂いたりすることができたそうです。


つまり、7月15日は、全国のお坊さんが一斉に一か所に集まるので、お食事を差し上げる機会になるんですね。そして、立派なお坊さんたちに、お食事を差し上げる行為(布施)は、大変尊いことだよ、功徳のあることだよとしているようです。このような因縁話もあって、7月15日(新暦8月15日)に、一斉に盂蘭盆会というのを開くんだそうです。

古代インドには、「いいことをすると、天界に生まれ変わることができる」という思想もありましたから、目連さんはお母さまを、なんとか餓鬼界(地獄の一種)から抜け出させて、天界に生まれ変わってもらいたかったのでしょう。


いつの時代も、母親は大切なものです。



外に出られずストレスもたまるかと思いますが、たまにおいしいものをたべたりして、少しでも元気に過ごしましょう。ご先祖さまも、それを見て喜んでくれるのではないでしょうか。



文責:濱田